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2010年 1月 18(月曜日) もともと写真に関心がなかった訳ではないのですが、なかなかこれはという作品に出合うことができませんでした。そんな中で、もう数年前になりますが、両国の作家共同スペース ART TERACE GALLERY のウエブで気になる写真がありました。下に掲載した中田寛也さんの作品です。特に人目を惹く作為がある作品ではありませんでしたが、気になり、その後も記憶に残っていました。先日たまたま ART TERACE GALLERYのウエブを覗いたとき、中田さんのポートフォリオを掲載しているウエブにリンクがはられていたので(前回は見逃していたのかもしれませんが)早速見に行きました。 中田さんの作品の一部を "Artists and works" に掲載しました。また中田さんのポートフォリオは以下のウエブサイトでご覧になれます。http://fotologue.jp/mitsuba/
2009年 9月 17(木曜日) 前回Ren Jingさんを紹介してから半年近くになります。ここしばらくアジアの作家が続いていますが、今回も韓国の作家 Kim Jung Wookさんを紹介したいと思います。彼女は昨年2008年8月~10月に東京国立近代美術館で開催された『現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング』展で紹介されていた作家で、たぶん覚えている方もおられるでしょう。その時にもひときわ印象に残っていたのですが、たまたま今年の春に開催され、私たちも参加していた「アートフェア東京 09」でギャラリーGallery Skapeさんのブースで彼女の作品と遭遇したのでした。 会場になったTOKIAの通路が狭い上にお客さんが多かったので必ずしもゆっくり見られたわけではありませんし、この作家の作品はどちらかといえばスペースが確保されたギャラリー空間でこそ映えるかなと思いましたが、それでもやはり作品は印象的で、魅力的でした。その後、昨年発行されていた作家の画集を手にすることも出来、1996年から現在までの作品を通覧してただならぬ力を持つ作家だという印象を強めました。1970年生まれで、1994年に大学(美術学部)を卒業してから活動を開始し、ほぼ毎年着実に作品を発表し続けていますから中堅作家というべきでしょうが、ここ数年、日本を含め外国での発表が続いていて国際的にも認知度を高めているようです。 初期から2007年くらいまでは現在まで一貫して人物像、しかも顔に焦点をあてた作品を描き続けていますが(このブレのなさは見事ですし、着実に作品に進化が見られることも驚きます)、近作では顔に焦点を当てながらも全身像(かつしばしば割れた鏡に映るように二重に重なっています)が対象になりはじめると同時に、抽象度が高まり、顔は仮面、身体は人形のように変形(あるいは硬化)しています。さらに顔や身体には亀裂が走り、血が流れ落ちています。身体の変形というモチーフで制作する作家は多く、すぐ思い出せるのはシンディ・シャーマンやマシュー・バーニーなどですが、この作家の場合はさほどドラマティックであるわけでなく、むしろ密かな変形という印象を受けます。仮面と人形は人間の在り方の象徴であり、過去の体験が形式化された痕跡として見るべきですが、作家はそこに感情と血肉の不在が逆に存在の生々しさをあぶりだすという機能を見ているのか知れません。実際、抽象度を高めた近作の仮面と人形的身体の背後に、具体的な受肉した人間の苦悩をリアルに感じます。とはいえ、この作家にとって顔が重要なモチーフであることは確かで、あたかも顔こそ人間存在の入口であると考えているかのようです。作風もモチーフも異なりますが、そこに奈良美智さんなどとの共通性を感じますし、共感を覚えます。が、これも私の印象、解釈に過ぎず、別の解釈も成り立つでしょう。しかし彼女の作品の持つパワーについてはおそらく見る者に異論はないだろうと思います。ちなみに作品はアクリルやオイルではなく韓国紙にインクで描かれています。はたしてこれから顔と身体の抽象化がどう進み、どんな変形が見られるか、これからの展開が楽しみな作家です。 なお画像と履歴は作家の扱いギャラリー Gallery Skapeさんの了解をいただいて掲載しています。
2009年 4月 26(日曜日) 2年前、上海のM50地区にあるギャラリーでこの作家の作品と遭遇しました。暗い色調の、壁の前にかがむ少女を描いた、背後に禍々しい物語を感じさせる魅力的な作品でした。が、どこかアニメやマンガ的な要素も感じたので今時の作品かなと思いそのままやり過ごしたのですが、記憶に残っていたのでしょうか、4月に北京で開催されたCIGEでこの作家の新作が出ていたのが一目で分かりすぐに引きつけられてしまいました。
"The wall" "Hide in the shadow" Ren Jing 1975 Born in Xuancheng Anhui province [Solo Exhibitions] [Group Exhibitions] [Awards] 2009年 4月 24(金曜日) 4月に北京で開催されたアートフェア CIGE に出展した折、ちょうど加藤遼子も参加しているグループ展も開催されていたので主催者であるギャラリー Beyond Art Space(798地区にあります)にも立ち寄ったのですが、そこで出会ったのがアートユニット UNMASK の作品でした。驚愕とまでは言えませんが、それでもほとんどショックに近い体験でかなりの時間、見とれてしまいました。アイデアの斬新性、構成の巧みさ、オブジェの完成度では中国でも日本でも(私の知る限り)他に類を見ない作品でした。 以下のイメージは今年このギャラリーでおこなわれた個展の時に出品された作品のものですが、イメージだけでも私の形容が大袈裟なものではないことを分かっていただけるかなと思います。オブジェはほぼ人間と等身大です。(私が今回見たのはミニュチュア版で少し小さい作品でしたが) さらに驚いたのが、実はこの作家は単独の個人ではなく、Liu Zhan、Kuang Jun、Tan Tian Weiの3人の作家のユニットと聞いた時です。作品制作のためユニットで活動していくのはなかなか難しいことですが、これほど完成度の高い作品を見ているとそんな難しさの片鱗も感じさせません。よほどお互いに息が合っているのでしょう。 また、閉域的な狭い空間に閉じこもっているカラーの体毛におおわれたアンドロイドたちというテーマは現代の人間の在り方と切実に響き合っています。テーマと方法が見事に融合した作品群で、中国の現代アートが確実に世界レベルに向けて進化していることを感じます。これから彼らがどんな作品を生み出していくか楽しみです。なお下のイメージはUNMASKとBeyond Art Spaceの了解のもとに掲載しています。イメージの下に英語になりますが彼らの活動歴も掲載しておきます。
[UNMASK] KUANG JUN TAN TIAN WEI [Publication] UNMASK'S 2002-2006 [Education] 2002 Graduated from The Central Academy of Fine Arts [Exhibitions] 2009 Beyond Globalization, Beyond Art Space, Beijing 2009年 4月 9(木曜日) 今年2009年の美大の卒業展覧会で出会ったのが村田 彩さんです。何人か才能の片鱗を感じる作家の卵たちがいましたが、その中で村田さんは異彩を放っていました。およそ絵画には新鮮な驚きを含め「見る愉しみ」が本質的に備わっているべきですが、村田さんの作品は十分に私たちを愉しませてくれます。 技術では決して上手いわけでもなく、構図などもまだ粗削りだと言えなくもありませんが、彼女の作品にはそんな表面的な印象を軽々と超えてしまう強いパワーを感じます。この作家を、ひとまずは「日常生活から想を得たアイデアを独創的なかたちで練り上げる力に優れている」あるいは「対象をねじ伏せる(取り込んでしまう)武骨さに新鮮な魅力がある」と評することが可能でしょうが、どうもそれだけでは言い足りません。どこかそんな形容をはみ出してしまうところがこの作家にはあります。 はみ出すところ、つまり過剰なパワーはどこから来ているのかと思うのですが、確かに描かれている対象は大きくディフォルメされていてるとしても、私たちがそこに市井の生活のリアリティを感じるところから来ているのではないか。そしてたぶんそれは描かれている日常生活の中の対象や出来事(皮肉るにせよ、揶揄するにせよ、批判するにせよ)に作家が深い愛情を注いでいるからなのです。この若い作家の特質はだからアイデアを含む描き方にあるというよりもむしろ対象に対するこの姿勢にあると思います。この姿勢は貴重であり、このことが作家の核にある限り、今後さまざまな対象との交流を通じた新たな展開を大いに期待できると思います。
*画像は作家の了解を得て掲載しています 2008年 11月 6(木曜日) 何と言えばいいか適当な言葉が見つかりませんが、ともかく強烈な印象を残す作品群です。この、平面絵画の持つ力を再認識させる作家は1965年生まれの中国人で、昨年ニューヨークでの個展を組織したキュレーターZhao Shulinさんの話によれば現在、中国国内での展覧会は難しいそうです。さもありなんと思います。画像は掲載していませんが、毛沢東をカリカチュアライズした作品を含め体制批判の作品が多いだけでなく、性器の克明描写など社会的タブーに大胆に正面から挑戦するスタイルは当局の許容範囲を超えているのでしょう。しかし作家によれば、政治批判も、性と暴力もそれだけが独立したテーマではなく、洋の東西を問わない人間の普遍的なあり方(作家の言葉では原罪を抱える生)と関わっているから描いているとのことです。作品に登場するピストルと蠅は時代を超えていつも現存する人間世界の禍々しさの象徴なのでしょう。確かにこの作家の作品の前に立つと、アートが人間の普遍的なあり方と切り結ぶことができるテクネー(技術)の一つであることを驚きと喜びをもって確認できる気がします。 ヨーロッパ古典絵画から学んだと思われる描写技術が卓抜であり、それが作品に深みを与えていることを無視できませんが、この作家の力は何といっても現在(の私たちの生活)と人間の普遍的な課題の交錯を生き生きとしたヴィジョンとして構成できるところにあります。そのヴィジョンはありきたりの言葉をはみ出してしまう過剰な力を持っています。それこそがアートのレゾンデトール(存在理由)にほかなりません。まだ日本では知られていない作家ですが、今後、注目すべき存在になると思います。 なお掲載した画像は、北京のキュレーターZhao Shulinさんが編集したこの作家のカタログ「Apocalypse」(2007年刊)から許可を得て転載しています。
Flight right 300×220cm 2005 Surrender 300×220cm 2005 Front side 300×220cm 2006 Front side 300×220cm 2006 Selestial soldier 90×140cm 2006 Warrior 320×150cm 2006 My left hand and my right hand 50×40cm 2004 2008年 11月 5(水曜日)
これまで山下さんの作品はどちらかと言えばその独特の手法(白地のキャンバスをニードルで線描し、その溝に単色の色を入れる)や独自の登場人物などからくるインパクトで注目されることが多かったようにも思いますが、たとえその手法と切り離せないとしても、この作家の本質は人間と風景の交錯(あるいは歴史としての風景)に対する想像力の豊かさにあるように思えます。彼女の作品は、私たちが何気なく見過ごしている見慣れた風景に潜む歴史、奇妙さ、異次元的な要素を大胆につかみ出し、新たに再構成したものですが、その把握と構成力に独特の強度があり、見る者の記憶に痕跡を残します。そしてその痕跡は必ずしもweirdなものだけでなく、「愉快さ」を伴っています。このことは一つ一つの作品がポリフォニックな、多重奏的な構造を持っていることを意味していますし、作品が見る者の想像力を誘惑する力を持っていることを示しています。たぶんそれこそが作家の狙いなのです。 現代ではたとえ作家たちが認めたくはなくても氾濫するアートは消費の対象でもあり、消費者(見る者)に痕跡を残し、誘惑できる作品は数少ないわけですが、山下さんの作品はその数少ないものの一つです。今後、新たな作風の作品が出てきそうな予感もあり、楽しみです。
2008年 6月 23(月曜日) 今年3月にソウルで開催されたアジアの若手作家的を絞ったアートフェア "BlueDot Asia 2008"で紹介されていたのが韓国の作家、Kwon Kyung Yupさんです。2006年頃から本格的に作品を発表しはじめたばかりの超若手ですが、既に注目を集め、8月末に開催されるアートフェアKIAFにも出品が決まっているようです。 まず写真を撮影し、その後、写真をベースにスケッチし、最後に油彩で描く手法が採用されていて、写真の持つリアリティと虚構性の上に、作家の想像力が重ねられる結果、肖像画として奇妙なリアリティを持つ作品が生まれています。 包帯の間隙に描かれる少年や少女たちの無垢な眼は、過去に体験した、そして今でも時折甦るに違いないこころの痛みを無言で訴えているかのように鋭く、見る者を見返していますが、白の包帯はそんな彼らのこころの叫びを浄化し、癒す儀式のように見えます。だからこの作家にとって包帯は作品の中心的で、必然的な装置のように見えます。 韓国の若手作家の活躍が目立ち始めている昨今ですが、この作家もその一人として今後の展開から目が離せなくなりそうです。
2008年 6月 2(月曜日) 先日開催されたデザインフェスタで、偶然、階上の大きな天幕の後ろの薄暗いコーナーに出品されていた玉野大介さんとお会いしました。玉野さんの作品にはかれこれ3年ほど前に出逢っていて、ずっと記憶には残っていたのですがご本人にお目にかかったのは初めてでした。玉野さんの作品は、一度見れば、たぶん大多数の人は忘れられない作品で(おそらくは少数でしょうが)熱心なファンがいて、私もその一人です。ただ、なかなか作品を直接見る機会がなく、昨年久しぶりにmaru galleryさんで個展を開催されたのですが、あいにく見に行くことが出来ませんでした。で、やっとデザインフェスタでお会いできたわけです。その時はひたすら描き続けておられる小さなカフカシリーズしか拝見できませんでしたが。 玉野作品を前にすると、どう評価すればいいかなどとはあまり考えません。ただただ、そのユニークさ、不思議さ、不気味さ、懐かしさが渾然一体となった作品世界に見入るだけです。玉野さんの個人的な夢、想像の世界が描かれていることは間違いなく、その限りであまりに個人的すぎるという見方もあるかも知れませんが、私たちの記憶に沈んでいきながら消え去ることがないことを考えると、玉野さんの作品は確実に個人的体験を超える普遍的なものに届いているのです。私の感覚を頼りに解釈すれば、たぶんそれは玉野さんが一貫して「少年の無垢」を描いているところから来ているように思えます。すでに私たちが遠い昔に失ったものを玉野さんは今も保持していて、私たちは彼の作品から、自分の内部に痕跡として散逸している「無垢」のかけらが動くのを感じ取るのではないでしょうか。 すでに多くの作品を描いてきた玉野さんをemergingな作家というのには相応しくないのかも知れませんが、そのユニークな作品世界を知る人がまだ少ないでしょうし、かつ今後の新しい展開を期待できる作家であることは間違いなく、あえてここで紹介させていただきました。ご本人は気恥ずかしく感じておられるかも知れませんが。なお作品イメージの掲載にあたっては、作家の了解を得ています。ここではごく一部の作品だけしか紹介できませんが、下記の作家のwebsieにはこれまでの作品のほとんどすべてが掲載されています。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/tamadai/
2007年 12月 28(金曜日) 12月にギャラリー銀座芸術研究所で開催されていたグループ展「オフィーリア」で印象的な作品に出会いました。作家はまだ大学4年在学中の坂本友由さん。フォルムは異常なのに、女性の顔だけが奇妙にリアルで、そのアンバランスさが新鮮でユニークでした。
「チョコバナナのうそつき」 60×60センチ 木製パネルにアクリル 2007
「使いまわした呼吸」 60×60センチ 木製パネルにアクリル 2007 * 画像はギャラリーから提供していただいています 2007年 6月 1(金曜日) 今年、東京丸の内の丸ビル地下通路で4月下旬から5月始めにかけて開催された「Art Award Tokyo」で準グランプリを獲得したのが内海陽介さんです。 これは美大の卒業展覧会に出品した作家の卵たちの中から優れた作品を選び、サポートしていこうとするもので今年が第一回目でした。 私も二度ほど足を運びましたが、50点以上の優れた作品の中で内海さんの作品がやはり傑出していました。 内面の想像的光景にこれだけのリアリティを持たせる力には並々ならぬものがあります。テーマ、構成、技術いずれを取っても水準を遥かに超えていて、今後、間違いなく内外から高い評価を受けていくでしょう。要注目の若手作家です。 * なお以下の画像は作家の了解を得て掲載しています。
「灰の上でダンス」 2007 Oil on canvas 1120×1620mm
「角突き」 2006 パネル/紙 1500×2700mm
「Cold Sleep」 2005 パネル/紙、鉛筆、グラファイト 1330×1920mm 2007年 4月 5(木曜日) ヨーロッパ古典をアプロプリエットし、自分なりにモディファイした作品かなと思い近づいてみると、すべての線描が手書きで夥しいアリたちで描かれていることが分かり、一瞬、その意味と反復の執拗さにあっけにとられ、当惑し、複雑な気持ちを抱えたまま展覧会会場を後にする...。たぶん成清さんの作品をはじめて見たときに私たちの多くが感じるのはそんな思いでしょう。 作品から立ち上ってくる誘惑は、おそらく作品が「おぞましさ」をたたえているからであり、そのおぞましさは人を含む生物も物もすべてがいずれは腐敗し、朽ち果てていくという死の匂いから来ているように思えます。できれば目を逸らせたい、けれどもどうしようもなく強く惹かれるものこそ私たちにとってタブーとしての死が持つ特質です。その意味でアリとは死と、そして死が生の始まりでもあるとすれば、生の象徴でもあるのでしょう。彼女の作品に不気味さと同時にアイロニー、ユーモアを感じるのは死と生が隣り合っていることを私たちが直感的に分かっているからです。つまり成清作品は両義性を持っていて、見る者は作家に謎をかけられ、宙ぶらりんにされることになります。 作家は絵画の魅力の起源まで遡及する「反復とその集積によるドローイング」という論文を書いていて、作品が明確な方法論にもとづくものであることが分かります。しかし作家にとってその方法論はただの理屈ではなく、あくまで自身の内部から生まれてくる描くことへの衝動とその作品への投射をより効果的に、生きたものにするためのもののようです。作家は「アリは私にとって自然だ」と書いているのはそのあたりを示しています。
2007年 3月 18(日曜日) すでに小山登美夫ギャラリーの作家として活躍し、高い評価を得ている作家ですからご存知の方も多いでしょうし、あえて新しく紹介する必要もないかも知れません。それでも取り上げたのは今後もこの作家を見逃すわけにはいかないと感じるからです。
2007年 3月 13(火曜日) 1980年生まれ、関西在住の小橋陽介さん、昨年のVOCA展や水戸芸術館での出品作品、さらに夏のGallery MoMoさんでの個展で密に注目を集め、今後が期待される若手作家です。
作品画像引用:Gallery MoMoさんのHPから 2007年 3月 7(水曜日) 2年前に大学院を卒業したばかりの若い作家、Byung Jin Choiさんの個展が先月2月にソウルのdoARTで開催されていましたが、その独創的な想像力、完成度の高さには目を見張るものがあります。 子供の頃に身近にありこころを通わせたオモチャたち、そして今、私たちの日常を埋めている多様な日用品、飲食物などは、互いに脈絡なく独立して存在しているわけですが、作家はそれらの物たちをそれに付着している自身のさまざまな思い、閃きで異質なものを関連付け、組み合わせ、生命を吹き込み、見事に新しいキャラクターに仕立て上げています。が、私たちは単にユニークなキャラクターたちに惹かれるだけでなく、キャラクターを構成するさまざまなパーツから、作家の思い出、ユーモア、社会への皮肉などを同時に感じます。構成する物たちを細密に描く描写力も特筆すべきで、そのことで作品の完成度がより一層高められています。想像力が絵画の基本的な要素であることを改めて感じさせる作品です。
作品画像引用:doART Gallery 発行カタログ「ICONoloZZZ」から |
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